教育改革市民フォーラム

地方分権・学校裁量権の暴走と公教育の危機
―杉並区立和田中の進学準備塾「夜スペ」が象徴するモラル・ハザード

国際基督教大学教授 藤田英典

問題の経緯
 民間企業出身の藤原和博氏が校長に就任して以来、学校改革先進校として注目されてきた杉並区立和田中が、2008年1月26日より、某大手進学塾の出張夜間塾「夜スペ」を開始し、注目されている。同校HPに掲載された藤原校長の弁によれば、「私立に行かずに済む受験サポートを、全国の公立中学校に先駆けて、地域本部主催で行います。平日の夜に学校で開く進学塾。中2の1月から1年間の集中講座。これにて「私立を超えた公立校」を確立します。 公立校の弱点である「吹きこぼれ」を出さないため、都立の進学重点校や私立の中上位校を狙う夜の特別コース。『夜スペ』と名付けました。」とのことである。
 
 東京都教育委員会は「(1)希望しても受けられない場合があり、機会均等の確保に疑問がある(2)特定の塾が学校を利用して営利活動をしていると疑われかねない(3)教材づくりに教員がかかわり公務員の兼業兼職の疑いがある」という3点を問題視し、杉並区教委に実施再考を求めたが、それに対して、同区教委は「教育の地方自治分権が求められる今日、残念だ」と反発し、和田中も「(1)補習は今後も続け、全生徒に目配りしている (2)授業1コマ500円と格安で、塾側にほとんど利益はない(3)教師にももうけはない―」と反論(以上、朝日新聞asahi.com1月8日及び10日より)。結局、都教委は区教委から提出された回答書を受け、「指摘した疑義はクリアされた」として容認し、1月26日から実施されることになった(朝日新聞1月24日朝刊)。

和田中・夜間塾の問題性
 都教委の朝令暮改的な対応にもがっかりだが、容認的・好意的なマスコミの反応(朝日新聞・毎日新聞の社説など)にも呆れるばかりである。ちょっと考えただけでも、次のような問題点を指摘することができる。
(1)和田中及び同校区に直接かかわる具体的問題
 @私企業の営利活動・宣伝活動に加担・便宜供与することの問題性(同塾は施設費・光熱費等を負担するわけではないので赤字営業にならないはずであり、加えて宣伝効果は絶大なものである)
 A生徒・保護者を選別・差別・分断することの問題性(一部の成績上位者だけを選別対象とし優遇することの問題性に加えて、生徒・保護者・地域住民の間に不信感・亀裂・分断を引き起こす危険性や、「都立の進学重点校や私立の中上位校」を狙うような成績上位者でなければ特別配慮に値しないという隠れたメッセージを子どもたちに伝え被差別感・不信感等を抱かせかねないという問題性)
 B「夜スペ」決定過程の問題性(和田中の教職員・保護者等の意向を無視したトップダウンの決定の問題性に加えて、保護者の自由な意見表明を封殺することの問題性)
(2)公教育(特に小・中学校段階の教育)の在り方にかかわる一般的・理念的問題
 @テスト学力偏重教育・受験準備偏重教育への傾斜動向に棹さすことの問題性
 A教育機会の格差拡大を容認・促進することの問題性(<できる子>の優先・優遇を容認・促進する改革動向に拍車をかける危険性や、教育機会の地域間・学校間格差の拡大を促進する危険性)
 B地方分権・学校裁量権(校長裁量権)の濫用・暴走の危険性(実施主体は学校ではなく学校支援地域本部だと言うが、地域本部であれば何をやっても良いということにはならないし、今回の場合、校長が率先して企画・決定したという事実も変わらない。そして、こういうことがまかり通れば、地域間・学校間の無用かつ歪んだ競争を促進することにもなりかねない)
 C教育の市場原理主義的・新自由主義的再編を促進することの問題性(塾産業の拡大や営利企業の学校現場への過剰参入を促進することの危険性・問題性に加えて、教育の公共性・適切性の軽視と私的効用・市場的価値の過度の重視によるモラル・ハザードが加速することになりかねない)
 和田中・藤原校長はもちろん、杉並区教委も都教委も、これらの諸問題について十分に検討し、良識的かつ賢明な判断・決定をする責務があったはずであるが、マスコミその他の諸情報より判断するかぎり、その責務が十分かつ適切に果たされた形跡はない。それだけに、今回の和田中・夜間塾の実施及び区教委・都教委の対応は、地方分権・学校裁量権の濫用・暴走を象徴するものだと言わざるをえない。

「吹きこぼれ」対策及び高校受験向け特別対策という主張の問題性
 冒頭の引用文にも示されているように、同夜間塾は『公立校の弱点である「吹きこぼれ」を出さないため、都立の進学重点校や私立の中上位校を狙う夜の特別コース』なのだそうである。この言明には、少なくとも次の3点で重大な問題がある。第一に、「公立校の弱点である」と書くことにより、<公立校は受験対応という点で十分なことをしていない>、<他の公立校はそういう努力を怠っている>というメッセージを流布し、他の公立校を貶めている。これは、藤原校長が就任して以来、何か改革を行うたびに強調・公言してきたことだが、あまりに独善的で不当な主張といわざるを得ない。
 第二は、高校受験に関する事実認識の歪みと、その歪んだ認識に基づいて受験準備偏重教育への傾斜やそのための学校間・地域間の有害な競争を促進しかねないことである。高校入試競争は、首都圏のように私立高校の割合の高い地域を除けば、高校通学区域内での競争であり、全県一区の広域選抜制が採用されている場合でも同一県内での競争であって、他学区・他県の生徒との競争ではない。また、ほとんどの私立中学は中高一貫校であり、そのほとんどすべての生徒は併設高校に内部進学するから、高校入試競争は事実上、公立中学校の生徒間の競争であって、私立中学の生徒と競争するわけではない。したがって、中学校教育の理念(望ましいあり方)とフェアな競争を重視するなら、和田中「夜スペ」のようなプログラムは無用だというだけでなく、子どもや保護者の間に無用な不安を掻き立て、公立中学校における入試準備教育の歪んだ競い合いを促進し、公立中学校間の格差を拡大することにもなりかねないという極めて危険なものである。
 第三の問題性は、「吹きこぼれ」を「公立校の弱点」と見なし、夜間塾「夜スペ」を「吹きこぼれ」対策だと主張している点である。「吹きこぼれ」は「落ちこぼれ」の対義語として最近一部で使われるようになった言葉だが、これは最近とみに目立つようになったモラル・ハザードの一つの表れと言える。授業のレベルや進度が自分の学力より低すぎる・遅すぎるとか授業内容を塾などでとっくに学習し終えているとかいった理由で、学校の授業がつまらない、授業に熱心になれないという子どもが増えていることは事実のようである。しかし、もし夜間塾が「吹きこぼれ」対策になるとしたら、そもそも「吹きこぼれ」と言われる昨今の問題は起こらないはずである。なぜなら、進学塾に通っている子は、そこでケアされているはずであるから、「吹きこぼれ」にはならないはずだからである。
 一部の子どもにとって授業のレベルや進度が低い・遅いといったことは、今に始まったことではない。戦後60年、小・中・高校のどの段階でも、たいして勉強しているようには見えないのにいつも試験で満点(に近い成績)をとる子、教師でも苦労するような問題をすらすら解く子、膨大な小説・文学作品を読みあさっている子、難解な哲学書などを読み思索にふける子、教師も思いつかないような洞察力に富む意見を理路整然と展開する子など、挙げればきりがないほど、いろんな<できる子・優秀な子>がいた。しかし、そうした子どもたちも、混合クラスでみんなと歩調を合わせて学んでいたし、居眠りしたり内職したりすることはあっても、授業を妨害したり、学習意欲喪失に陥ったりするということはほとんどなかった。ところが、最近は、学校での授業のレベルや進度が低すぎる・遅すぎるから「吹きこぼれ」になるのだという。これは、たんに授業のレベルや進度が低すぎる・遅すぎるからではなくて、学校教育に期待するものや授業への構えが変化し、テストで測られるような学力や受験準備を重視する傾向が強まってきたからであろう。進学塾などで(受験に特化した)学習を学校の授業に先んじて行うようになればなるほど、小中学校時代の学習・勉強をそのようなものに矮小化し、学校の授業にもそのようにしか関われなくなるからであろう。そうであるなら、和田中・夜間塾はそうした傾向に迎合し拍車をかけるものでしかない。それでよいと考えるのかどうか。いま、日本の教育はその重大な岐路に立っている。

【付記】本稿は、近刊の月刊誌『世界』(岩波書店)4月号掲載の同タイトル論文の要約版である。詳細は同論文を参照されたい。
 
藤田英典プロフィール
早稲田大学政治経済学部卒。スタンフォード大学教育系大学院修了(Ph.D.)。名古屋大学助教授、東京大学教授・教育学部長を経て、2003年4月より現職。日本学術会議会員。教育改革国民会議委員(2000年)、中教審・義務教育特別部会委員(2005年)や、著書『誰のための「教育再生」か』(編著、岩波新書)、『教育改革のゆくえ』(岩波ブックレット)、『義務教育を問いなおす』(ちくま新書)、『教育改革』(岩波新書)、『市民社会と教育』(世織書房)などを通じて、教育政策に批判的・建設的発言を行ってきた。
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